別に 大したことしてねぇわ

生き方

皆さん こんにちは。

今日は、”自給自足という暮らし”なるもの  について、ほんのチョットだけ掘り下げてみたいと思います。

初めから あんまり深堀りしてしまうと 誰にも読んで頂けなさそうなので、
いきなり飛ばし過ぎないように気をつけて 押さえ気味で書いていきます。

先に結論からお伝えします。

25年以上 自給自足の暮らし を続けてきた結果
自分の生きてきた道のりを振り返って思うことは…

「別に大したことしてねぇわ」

です。

「何や、それ?」

と思いますか?

いや、そうガッカリしないで、暫しお付き合い下さい 笑
これから拙い文章で解説していきますから。

皆さんは、「自給自足の暮らし」と聞いて、先ずはじめに何を思い浮かべますか?

都会からIターンで移住して、
(多くの場合、無農薬で)お米も野菜も丹精込めて立派なものを育てあげ、
その農作物を換金して生活費に充てる。
更に当然 家族でも自給しながら
心豊かに生活を楽しむ。

こんな感じの暮らしをイメージされた方がおそらく多いのではないでしょうか?
私の抱くイメージも、そんなところです。

最近では、更に自家発電して 電気まで自給している人もいるようですし
親しい友人で、ほぼ自分だけで 数年かけて立派な家を建ててしまった人もいます。

すごいですよね。
私には、とてもそんな事 出来ません。

でもそんな人たちは中でも少数派で、多くの場合、
自給自足というと 主に食料を自分で育ててまかなっている人々 を指すんじゃないでしょうか。

私もおおむねそうです。

僅かな田畑を無農薬で営んでいます。
お米は100%、野菜は95%くらい自給しています。
お肉も長年 半分くらいかな? 自給してます。
あ、あと お味噌も全て手作りでした。

台所の煮炊きは普通にLPガスを使いますが、
お風呂は五右衛門風呂なので、通年 薪で沸かしますし
お風呂の屋根には、ソーラー温水器を設置してあります。

冬場は暖房の主力は薪ストーブです。
その焚き物も全て自分で調達しますので、
熱エネルギーも、そこそこ自給している と言うことも出来るでしょう。

でも農作物を換金して生活費を稼ぐ という事は 私はしていません。

生活費は何かしら他の仕事で稼いで、更に食料は自給する。
そういう生活スタイルです。

半農半Xエックス なんて表現することも多いんじゃないかな。

それとも最近では、別の表現が使われているのでしょうか?

言葉づらは兎も角 その辺の詳細は、後日 ”仕事” または ”お金” の切り口でお話しすることにしましょう。

で、”半農半Xエックス” 
平たく言うと、兼業農家です。笑

私の知る限り、そっちの暮らしをしているIターン者の方が多数派です。

でも、言葉で ”自給する” というのは簡単ですが、いざ、自分たち家族 1年分のお米を獲り切ろう とすると、それは中々大変な事です。

苦労の末に、何とか家族1年分のお米を確保できたとしましょう。

さあ、ここでちょっと立ち止まって、周りを見回してみましょうか。

どこにでもある、中山間地の限界集落です。

ここで田畑を守っているのは、殆どが 仕事を引退したお年寄りたちです。
その息子さんたちは近隣で仕事に就いていて、田植え、稲刈りなどの大仕事の時にはよく手伝っています。

この爺さんたち 当たり前に一族郎党全員の1年分の米を担ってます。(すごいですね)

でも、誰も彼らのことを指して、”自給自足してる” なんて言わないですよね。
彼ら自身も そんなこと言わない。

「わしゃ、50年も自給してきたんじゃ」

そんなこと言ってる爺さん、会ったことがありません。 笑

彼らは私がガキの頃から、いや 下手したら私が生まれた頃から
当たり前に毎年 田んぼを耕して、お米を収穫してきたのです。

ここで ふっと ある疑問が沸きます。

(はて、この線引きは 一体何処にあるのだろうか?)

われわれ ”自給自足の人たち” と 彼等 地元の”兼業農家” 
世間は何をもって区別してるんでしょうか?

移住したかどうか?
農薬を使ったかどうか?

きっと違いますよね。でも分かりません。

お米を自給している という点において、両者は全く同じです。
両者の目的も、多分同じ  ”食ってくため”  です。

結論: 私から見れば、そんな線引き、特に意味なんて無いと思います。 笑

現代社会では 物質的にも経済的にも豊かになり、わざわざ土にまみれて自分で田畑を耕さなくても 
”食っていくこと”  が可能になりました。

だから食ってくために土にまみれることが 当り前じゃなくなった

それで、わざわざそんな事をするために移住する人達が、
一見 特別な事でもしている かのように見えてしまうんだと思います。

現代になって いつの間にか、「金は仕事で稼ぐもの、米は稼いだ金で買うもの」 が当たり前になってしまった。
世の中の”当たり前”が すり替わったんです。


でも、少なくとも 私がしていることなんて、全然 特別なんかじゃない

人として 当たり前のことをしているだけなんです。

何故なら、人も動物だから。

餌を食わなきゃ、死んじまう。 

だから 食うために 耕すんです。

ね、特別じゃなくて 当たり前でしょ?
え、まだそう思えませんか?

それなら、チョットだけ時空を広げて 考えてみて下さい。

これが例えば100年前なら…

1920年頃 大正時代
日本の総人口 5600万人
当時、その半数以上が農業に従事していました。

例えば200年前はというと…

1820年頃 江戸時代末期
日本の総人口 推定3200万人
当時、その8割以上が農業に従事していました。

おそらく世界中、どの時代を見ても明らかに同じでしょう。

農耕が人々の間に定着して以来

その当たり前のことを 生活の全てを懸けて しているだけなんです。

人間らしく 生きるために…

人類の長い歴史に照らして見れば、それがず~っと当たり前だったハズです。

現代を生きる我々が 当たり前だと思い込んでいること の方が、よっぽどイレギュラーな事なんじゃないでしょうか?

さて ここで、冒頭の自分への問いかけに戻ります。

今 振り返ってみて 私は、

家族を食わせるために、泥の中を這いつくばって頑張って来た。
その中で、日々 生きる喜びを感じられる暮らしを 守るために頑張って来た。


確かにそれを長年 続けてこれた自分は素直に認めたいと思います。
自分を褒めてやりたい。

当初の願いのとおり、人間らしく、自分らしく生きてこれた

そう思います。

でもだからと言って 
それを過大評価したり、人に自慢したいと思っている訳ではありません。

そして、過ごしてきた過去も
最も大切な今も
これから先の未来も

あくまでもひとりの人間として、等身大の自分として 静かに受け止めて
一歩一歩 歩いていきたいと思っています。

だから、この生き様を 人がどんな言葉で表現しようが、くくろうが、
そんな事、私の知ったこっちゃないんです。

※そうは言いながらも、自分のブログのタイトルに あえて”自給自足”という言葉を使用しちゃいました 笑
でもこれは、誰でも分かりやすいタイトルにしたかったからであって、この言葉自体に、特に思い入れは無いです。
自分の生き様に誇りを持っているだけです。

如何でしたか?
私が

「別に大したことしてねぇわ」

と言った理由 ご理解頂けましたでしょうか?

はたして 上手くお伝え出来たか自信がないですが、

こんな感じの深堀りトーク 

私自身は 嫌いじゃないんです。

また皆さんに お付き合いして頂けると幸いです。

 

コメント